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2008年12月31日

Good-Bye season2008 Hello Season2009

2008年と言うシーズンを振り返ってみようかなと。

まずはリーグ戦の成績。
15勝11敗8分けの勝ち点53で7位。得点50失点42得失点差+8。得点力の低下と失点の増加が顕著になったシーズン。また、ホームゲームに限ってみれば7勝6敗4分けと勝敗数が拮抗。アウェイゲームは8勝5敗4分け。ホームゲームの方が成績が悪いと言う状況。

ナビスコカップは、結局1勝も上げる事が出来ず0勝4敗2分けとグループリーグ最下位での敗退と言う成績。

天皇杯は、4回戦からの出場で初戦をJ2愛媛FCと延長の末PKで奪った1点を何とか守りきり辛勝。5回戦は横浜FMと戦い2点を先行されるも何とか追いついたがそれ以降手詰まりしPK戦での敗退。

ACLは前年度優勝チーム枠で出場。ノックアウトステージからの登場となり初戦をクウェートのアル・カディシアと戦いアウェイを3-2で落とすもホームで2-0で勝利し逆転で勝ち上がる。迎えた準決勝はG大阪との日本勢対決となりアウェイを1-1で凌ぎきったがホームで1-3と大惨敗し敗退する。

 

2008年はシーズン幕開けから様々な問題を抱えた1年だった。クラブフロントは昨年の成績からオジェックを留任させ更なるチームの底上げを図ったが現場の雰囲気とのズレがいきなり如実に現れる事となる。だがこの辺までは些細な問題でしかなくフロントが現場の状況と内実を踏まえた上で解決へ導くべきであったのだがフロントは選手を主にした勢力に負け開幕2試合でオジェックを更迭すると言う明らかに失策を犯した。そして後任にそれまでの4年間をヘッドコーチとして仕事をしていたエンゲルスを擁立するが理由が義理人情と言うこれまた失策を犯す。しかも2年契約で。このシーズン序盤の大きな2つの失策によってチームは完全に崩壊させてしまったと言わざるを得ない。エンゲルスも就任直後こそ闘莉王の中盤起用など奇策で結果だけは残せた物の6月のリーグ中断での合宿では戦術の意思統一も出来なければフィジカル強化も出来ずに「メロンを食べに夕張に行ってきたんだよ」と言われる様な状況へと落ち込んでいく。この頃からチームの勝敗の如何を問わずチーム状況は悪化の一途を辿り始めた。特にナビスコカップの成績がそれを物語っている。京都にこそ2分けとしたもののアウェイの名古屋と神戸で敗戦を喫するとホームに戻っての名古屋戦で5失点の大敗を演じてしまう。代表メンバーが不在とは言えこの成績は容認できる物ではなくシーズン中にもう一度監督を変えるのであればこのタイミングしかなかった。出来なかったのは既にオジェックを更迭している事とエンゲルスを正式な監督で就任させてしまった事の2点があった。エンゲルスを中断までの暫定監督とし次期監督をちゃんと選ぼうとしなかった事が崩壊へと導いた。そして本当なら新しい監督の下で合宿を行い戦術の整備をする所が何も出来ずに終わってしまった。

リーグ戦の再開初戦の14節アウェイ柏戦で脆くも敗れると15節FC東京には勝利を収めるも続く16節アウェイの大分で敗戦、17節ホームの東京Vに辛勝すると同じくホームでの18節川崎戦に1-3の大敗を喫する。リーグ再開から勝ち負けを繰り返した上、ナビスコの無様な敗退から不満を溜め込んでいたサポーターも19節アウェイの鹿島戦で今一度まとまりを取り戻すも直後の20節ホーム柏にロスタイムで追いつかれる引き分けを演じてしまう。だがその後の21節から27節までを3勝4分けと負け無しで来たものの勝ちきれない感が充満している中、28節に降格圏に居た千葉戦で敗戦を喫すると箍が外れたかの様にてんでバラバラの試合を繰り返すようになる。29節の神戸にも負け連敗するとサポーターの不満が爆発しそれがそのままサポートの拒否へと繋がる。完全な拒否と言う訳では無い物のスタジアムからサポーターの声が消えて行った。30節の新潟戦で辛くもギリギリの勝利を収めるが直後の天皇杯4回戦でJ2の愛媛FC相手に90分で得点が奪えず延長を含めてもPKによる1点しか奪えないチームの姿にサポーターの不満は表面化しまるで敗者の様なブーイングを浴びせかける。それに選手は反発しクラブとサポーター間の亀裂まで生む。試合後にスタジアムでサポーターとフロントとの対話の場が設けられたそうだ。その後の31節札幌戦で少しづつサポーターの歌も戻り勝利を挙げたがこれが08年最後の勝利となってしまう。天皇杯5回戦の横浜FM戦をPK戦で落とすと32節の清水に敗れどさくさにエンゲルスをシーズン終了後に解任すると通達する。その後の33節G大阪を立て続けに落とすと最終節の横浜FM戦は6失点の大惨敗しシーズンを幕を下ろした。

結局は人心掌握出来なかったクラブフロント失敗した事がきっかけとなり個人技のみで構成されていたサッカーの限界を表面化されたに過ぎない事ではあった。個人技頼みのサッカーをしていても浦和と言うクラブに確固たるスタイルとサッカーに対する哲学があればここまで崩壊し迷走する事もなかった。02年時にハンス・オフトを招聘し基礎からの建て直しとスタイルの確立こそが目標だったが結果を求める余りに3年と言う時間を2年に減らされ完成を見なかった。堅守速攻が浦和のスタイルであるならばそれで構わないが、にも関わらずに攻撃的なスタイルや魅せるサッカーを追及と言う矛盾にも見える事を大きく言う事がこのクラブに哲学たる物が存在しない証なのだ。次期監督のフォルカー・フィンケにそれが出来るかどうかは未知数ではあるが監督個人の資質に頼るのではなくクラブ全体として確固たる「浦和」と言う物を作り上げなければいけない時が来ているのだろう。幾度と無く失敗し続けて来た問題だがこれを解決しない事には本当のビッククラブになれないし、本当の意味で世界に出て行くことなど出来ない。いくつかのタイトルを獲ったからこそ見えてくる問題が噴出したのが2008年と言うシーズンだった。

そして次期監督のフォルカー・フィンケ。若手の育成に長けている監督だと聞く。そしてクラブが求める物は育成をしながら勝つと言う物。ただ育成に長けた監督がこのクラブに適しているのかと言うとそれは解らない。浦和には熟成した一流選手も多い。フォルカー・フィンケがそれらの選手を扱いきれるのか、そこが未知数である。またパスサッカーを志向している様な話も聞く。浦和でこのサッカーをやろうとした監督にブラジル人のチッタと言う監督が01年に居た。チッタの目指していたサッカーもパスを繋ぎ選手の連携を大事にしていた。チッタにも期待感が大きかったがフィンケにも同様の期待感が溢れている。話は非常に魅力的なのだがそれを植えつけるのにどれだけの時間がかかるのかと言う不安も大きい。フォルカー・フィンケに限っては未知数の部分が大きい。期待感だけではがっかりしてしまう事も来年は多いかも知れない。サポーターも我慢が続くか・・・。

未知数な要素の多い来シーズンではあるが開幕の3月が待ち遠しいのはシーズンオフが長ければ長いほど感じてしまうよね。

[サッカーショップ加茂]浦和レッズホームユニフォーム

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2008年12月31日 11:56に投稿されたエントリーのページです。

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